平凡と非凡を考える

観念を手放したからか、思考が深くなってきた。そこで今回はそれを記事としてまとめてみることにした。

平凡はノーマル、非凡はレアであること

マスメディアに目を向けると、非凡な存在をたくさん見付けやすくなるのであるが、あくまでも非凡な存在はレア物であることを忘れてはならない。

バラエティーなど話題性を追及した結果、非凡な存在が当たり前のように感じられてしまうが、非凡な存在はあくまでもレア物であり、大半はノーマルである。

エニアグラムタイプ4はもしかしたら、そういったマスメディアの影響も高いかもしれない。

非凡は時間をかけることのみしか、達成の道は無い

非凡な存在は、時間をかけている人が手にしている点も忘れてはならない。また、非凡な存在を手にするまでの過程には、平凡な存在の連続であることも重要な点である。

これはテストの点数を考えれば分かる。

つまり、80点までは努力の工夫でなんとかいけるが、それ以降は、時間をかけなければならないと手に入らないと良く言われている点である。

非凡は偶然の産物でもある

また、どんなに時間をかけても手に入らない場合もあるが、たまたま偶然手に入る場合もある。

あえて言えば、偶然とは潜在意識の領域であり、顕在意識ではどうにもならない点である証明である。

非凡さは、平凡さがたくさん有るからこそ成り立つ。

これはつまり、数量では

非凡平凡

を覆せないということ。

非凡は他者による評価の前提。

非凡さを求めているということは、他者に評価を依存する可能性がある。

なぜならば、プロスポーツ選手が意図も簡単にやる(平凡)技術をとっても、素人には非凡な技術にしか見えないし、素人が評価して初めて非凡だと自覚出来るからである。

だからどんな分野でも、非凡さを求めた場合、他人に精神の拠りどころを奪われてしまう可能性が高い。

非凡な存在になりたいとは?

この言葉には、隠れた前提がある。

それは、自身を平凡な存在であると否定的に強調している点である。

また、そんな平凡な自分には価値が無いといった前提もある。

まず前者の問題点は、否定的な強調でかえって、平凡さを認めていること。これは引き寄せ的には平凡さの実現を求めている。

後者は、否定的になるのは価値を認めてない場合が多い。

非凡さは理解されにくい特性を持つ

なぜならば、平凡な技術を理解していて初めて、非凡な技術を理解できるからである。

だから、その人が全くの素人でその対象に関心が無い場合、非凡さは理解されないということになる。

この特性から、非凡さを求めた場合、八方美人は辞める必要が分かる。

なぜならば、全くの素人に良さを理解してもらおうといった時点で不可能な話だからである。

つまり、その分野に興味ある人しか対象に出来ないということである。

これは、非凡さを求めている人間には、八方美人の要素がある証拠でもある。

さらにこの考えを突き詰めると、

ターゲット層を絞るとは、二段階絞るということになる。

1段階目は、その対象に関心ある人に絞ること。

2段階目は、その対象に関心ある人からさらに(自身の)やりたいことに関心ある人へ絞ること。

マーケティングでは、通常2段階目から始まるが、この種の非凡さを求めている人には、1段階目をこなす必要があるようである。

非凡を定義

自分なりに定義する理由

それは、非凡には、結果に関わる概念だからである。

だからもし非凡に対して曖昧な定義を持っていた場合、曖昧のまま定義と結果を見比べたとき非凡な結果を得られたか分からない場合になりやすい。それが、さらなる非凡な結果への渇望感になる。渇望感とはまさにエニアグラムタイプ4の囚われ状態であるから、それを防ぐために定義をしっかりと持つ必要がある。

非凡とはなにか?

技術的に難易度が高いモノであると同時に、希少性を持っているモノである。

私はこう定義してみる。

この定義により、なんでもかんでも非凡認定していたのを辞められるようになる。

なんでもかんでも非凡認定は、自信を失う原因にもなる

曖昧な基準ゆえに、ネガティブ思考に言いように使われていたのを辞めることで、自信を無くすきっかけが減る。

また、世の中の非凡なモノは、かなりの希少性を持っていることを認められるようになり、単なるライバルを曇り目無しで判断出来るようになる。つまりそのライバルは、そんなに希少ではなく強すぎるわけではないと考えられ、勝てないなどと言った弱気な考えを減らせるようになる。

非凡だからといって、突出しているわけではない

目をこらせば非凡を見付けられるが、大抵は平凡の中に紛れているモノである。

非凡な人間がその対象を一番大事にしているかというとそういうわけではない

平凡な人間の方がその対象を凄く大事にしている場合もある。

大事にすることの競争は不毛

これはいかに愛したかの競争である。

その対象を大事にしたか愛したかなどの競争を客観的な証拠に頼らないこと。

パワーストーンに限らず、対象に愛を注げば、フィードバックはある。

それに着目すること。

前提条件

自分を褒める好きになるの蓄積が必要かもしれない。

観念浄化

さらに思考を深めるために観念を手放す。

みんなと同じではいけない

みんなと同じでは価値が無い

一番は最も価値がある

私が一番愛してるetc

後書

少し精神負担が軽減したかも。

そろそろとある目標に対しての大量インプットの時期が来たかもしれない。そのような衝動が心から溢れている。今までかなり遠回りしてきたが、その遠回りの要因は一つも残さず解決するように努めてきた。だから、こうして衝動が出てきたのかも。今までよりは、近道へ行こうとも、壁となるモノが少なくなってきている感覚がある。

また、バキュさんの瞑想効果もあるかもしれない。目標に対して導かれている気がしている。

兎に角、目標に対して一歩一歩近づいていることは確かだ。

だから諦めずに頑張っていくわ。

読んでくれてありがとう。

では。