ニュートラルに生きるということ

やっと本調子に戻って来ました。

体内の悪いものが全部出た!感じがします。

尾を引いていた親という宗教からの脱出もようやく綺麗に終止符を打ちました。

これを機に色んなものが抜けたというか関心がなくなりました。もっというと自分以外に関心がなくなったので周りが何やっても平気だしジャッジもしないし、ただそういう人がいるだけ

ただそれが正しいという人がいるだけ

ただそうしたいという人がいるだけ

その各それぞれの思いはそのまま、私は私のやりたいように淡とする

そんな心持ちになりました。

とーーーーーってもニュートラルな状態

この状態ってどこかで味わったなと思い返したら

小学生のときの感覚に似ています。

鉄棒が上手い子がいる

笛が上手い子がいる

ピンクのランドセルの子がいる

ソレに対して何の優劣の差もなくて

私は鉄棒が下手だうまくなりたい練習結果

私は笛が下手だでも下手でもいい練習しない

とか

私は赤のランドセルでピンクのランドセルが可愛いと思った。以上!!マル

とか

私は赤が好きだけどMちゃんはピンクが好き

赤が好きな私がいて

ピンクが好きなMちゃんがいる

そこに何の優劣もジャッジメントもない。

だって全ては許されているから。

優劣のジャッジは個人の思い込みの色眼鏡で見た世界なんだよね

そして、島根に行って思ったんだけど

私は神社が好き!以上。

神話が好き、鳥居が好き、それだけなんだなって

わかりました。

インナーチャイルドとか過去生とか

そこにしがみつきたい人はそうすればいいけど

私が私であることに何の因果関係もナイってこと

今を生きるって過去にも未来にも生きないってことで、未来の不安や過去生って今じゃないじゃん。

常に今は今しかない。

世界は最善なことしか起こらない

本日は1000ありがとう

今日もありがとうございます

ありがとうの奇跡実験

合計149700/40万ありがとう

ぽちっとご協力お願いします